悠希会 藤原琥山 
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悠希会

平成10年2月10日【入院】

この時のCRPは1.6。食事は3分粥。24時間点滴につながれることになった。ずっとおなかが痛くて漏らしそうなのに、主治医に肛門鏡を突っ込まれたとき「先生!漏れそうです。」と叫んでいた。

2月10日【大腸内視鏡検査】

あまりにもの痛さに台の上で「痛い!」と叫びながら暴れて数人の看護婦さんに抑えられていました。検査結果は、潰瘍性大腸炎(全大腸炎型)だった。この時、この病気が現代医学では治せない病気で、ほとんどの患者が入退院を繰り返し、いずれ大腸全摘出手術も考えないといけないと聞かされる。

2月18日【注腸検査】

この病気の患者に注腸はコクである。ただでさえ便を漏らしてしまうのに、そんな患者の大腸にバリウム液と空気を肛門からに流し込んで、機械の上でグルグル回すなんて。僕は正直、機械の上で漏らしてしまって、機械をバリウム液で真っ白にしました。

2月20日【サラゾピリン服用開始】

まだ内視鏡検査の結果は出ていなかったのですが、たぶん潰瘍性大腸炎だろうということで飲むことになった

2月23日

CRP0.3.。サラゾピリンが効いたみたいで、症状も改善さ、普通便になり、便回数も1日2回になった。

2月27日

手首に湿疹がではじめる。

2月28日【皮膚科受診】

サラゾピリンの薬疹の可能性があるということだったが、サラゾピリンはそのまま飲みつづけた。その結果全身に薬疹が出て40度の高熱が出始めたので、サラゾピリンを中止し全身の薬疹をひかせる為にステロイド(プレドニン)を飲むようになった。それから、サラゾピリンの代わりにペンタサを飲むようになった。

3月10日【退院】

サラゾピリンの薬疹もひいたので退院することになった。ステロイドは1週間後ぐらいに切れた。


この入院中に薬学部への進学を決意し退院後、受験勉強をはじめることになった。自分の病気が治らない病気で治す薬がないなんて信じられなかった。きっと、治す薬があるはずだと思い、自分で捜そうと思って薬学部進学を決意した。今考えると本当にめでたい性格であった。