悠希会 藤原琥山 
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ステロイドに思うこと

どうして体質改善なのか

体質改善の心構え

悠希会

平成10年11月【再燃】

薬学部の入試の1週間前ぐらいだった。ストレスかもしれないと思った。この時からリンデロン座薬をもらうようになった。しかし全然改善されなかった。そんな状況のなかで、無事に帝京大学薬学部に合格してしまった。しかし入学までに良くなると思っていた。

平成11年3月11日【入院】(CRP2.2)

症状がますますひどくなり、食べれるものもなく、どんどん体重が落ちてきて、熱が出るようになり、便も漏らすようになり、病院に頻繁にかけこむことになったので、大学が始まるまで入院することになった。治療方法はステロイドも使わず、持続の点滴も打たず、低残渣食で様子をみることになった。

3月25日【大腸内視鏡検査】

前回あまりにも痛かったので、今回は眠たくなる薬を使ってもらった。検査結果は直腸からS状結腸末端(直腸側)にかけて中等症の潰瘍(炎症)が見られた。上行結腸から下行結腸にかけては、ほとんど潰瘍の症状は見られなかった。処置として、この日から毎日リンデロン座薬を入れることになった。

3月27日【恐ろしい飴を食べてしまう】

病院の売店で飴を買って一袋全部食べてしまった。そのあと急にお腹の調子が悪くなり、その飴の空袋を見ると次のようにかいてあった。【マルチトールシラップ】は消化、吸収されにくい糖質ですので、一度に多量に摂取すると、おなかがゆるくなることがありますが、一過性ですので心配ありません。このあとから、トイレまで間に合わず、便を何度も漏らした。看護婦さんにも恥ずかしくて言えず、漏らしては、隠れてパンツを履き替えて、汚れたパンツを洗っていたが、漏らす回数が多くてパンツが足らなくなってきた。夜中も漏らすので怖くて寝れなくなってきた。今になって思うことですが、紙おむつをはけばよかった。でもそのときはそんな知恵がなかった。

4月2日【退院】(CRP2.2)

大学に行かないといけないので、全然良くならないまま、無理やり退院をすることになった。退院して、2日後に独りで車を運転して、大阪の実家から、大学のある神奈川県に向かった。

平成11年4月【帝京大学薬学部入学】

結局、症状が悪いままで、大学に通うことになり、おまけに下宿なので自炊であった。そんな状況でますます体は悪くなってしまったが大学を辞めるわけにはいかなかった。