悠希会 藤原琥山 
闘病日記コンセプト西式甲田療法Bio-G自己紹介問合せ

自己紹介

発病したとき

1回目の入院

2回目の入院

3回目の入院

4回目の入院

5回目の入院

近況

処方暦

どうして病気になったのか

どうして病気を克服したのか

緩解に至った私の見解

ステロイドに思うこと

どうして体質改善なのか

体質改善の心構え

悠希会

平成11年5月20日【初診】

帝京大学に入学してからは北里の外来にかかることになった。

このとき出会った先生がぼくの主治医になることになった。

本当にいい先生だった。

初診でいきなり、「今日何か食べてきた?」と聞かれ、遠くに出るときはもよおしてしまうことが怖くて何も食べていなかったので、「何も食べていません」と答えたら、すかざず「じゃー今日カメラ入れよっか。」と言われニフレック2Lを飲むことになった。

こんな大きな大学病院で紹介状もなく予約なしで飛び込みできた患者に、いきなりその日に内視鏡検査をしてくれるなんて、本当にありえないことですが、それだけぼくはよい医者に恵まれていました。

その後も外来に通うことになりましたが、いつも体のことだけじゃなく、薬学部生の僕に、自分の医学部生時代のことを照らし合わせアドバイスをしてくれたり、学校のことまで気づかってくれる本当にいい先生でした。

この日の内視鏡の検査の結果プレドニン20mgプレドニン座薬が処方された。この日から経口でステロイドを常用することになった。

大学生活

ネズミの解剖の実習この間、普通の食事と、エレンタールやエンシュアリキッドも併用していが、栄養障害が進んでいった。

この時、何をどう食べたらいいのか分からなくてパニックで、便が出るときの激痛を考えると、何を食べるのも恐怖でした。

大学にはいつも紙おむつをつけて通っていて、大学でもらしてしまうこともあり、下宿先が近かったので、そのまま家に戻ることも何度かあった。

そんな状態だったので、遊びに行ったり何かを食べにいったり出来なかったので友達ができることが怖かった。

休憩時間はいつもトイレでキバッテいたので友達と話する機会が少なかった。それにしてもトイレが一番落ち着いた。

でも便器のなかはいつも真っ赤な血が出ていた。この血は何度見ても慣れるものではなかった。

大学では僕の周りにいっぱいいいヤツがいたのでホントに一緒に遊べないのが残念だった。

今になって『病気のことをみんなに打ち明けたほうがよかったのかなぁー』と思うが、それはどうだか分からない。

結局、注腸でステロネマも投与したが症状は全く良くならず、大学の方も2年生から実習が多くなるので、そんな状態で大学生活を続けていくのは難しかったので、冬休みのうちに入院して徹底的に治療を行って治すことになった。

(写真)ネズミの解剖の実習

平成11年12月21日【入院】

下宿先から車に入院道具一式詰めて独り病院へ向かった。

病院慣れしているがさすがに不安だった。

でも良くなると思っていたので結構余裕もあった。

【治療法】

潰瘍性大腸炎食


鉄剤の点滴


注腸ステロイド(ソルコーテフ200mg/100ml×2回)

プレドニン15mg経口

セルベックス3錠

12月27日【大腸内視鏡検査】

入院してから1週間がたった。

注腸ステロイドの効果が出ているかどうかを見るための検査であったが、検査の結果やっぱり全然よくなっていなかった。

その結果この日から治療法が変わった。

絶食IVHで大量ステロイド静注が始まった。

【治療法】

絶食
IVH
プレドニン50mg静注(朝30mg、夜20mg)☆5日で5mgづつ減らしていく予定であった。
鉄剤の点滴
注腸ステロイド(ソルコーテフ200mg/100ml×2回)
セルベックス3錠

平成12年1月1日元旦【大量下血】

朝お腹が痛くてイヤな予感がしてトイレ行ってきばってみると、便器に中が真っ赤ッかで貧血で倒れそうになった。

自分でも怖くてどうしていいか分からなかったが、看護婦さんに見せるのも怖かったので、黙って流すことにした。

でもそのあとお腹が痛くて痛くてしょうがなくて、看護婦さんに湯たんぽをもってきてもらってそれを抱えてずっと寝ていた。そうなるとさすがに嘘をつけなくなって、大量下血したことを、看護婦さんに言うことになった。

そのことを主治医に知らせると、正月休み中の主治医が飛んできてくれた。ものすごくけわしい顔だったので、僕はどうなるか怖くなっていた。

今日からプレドニンを5mg減らすことになっていたけど、この状態では減らせないから明日まで50mgで引っ張るけど、それ以上はもう打てないから減らしていくしかしょうがないからね!

と主治医に言われ、プレドニンは1週間に5mgづつ減らしていくことになった。

【大量下血に関する僕の見解】

今になって思うことですが、この時の大量下血は絶食によるものだと思う。

それまでずっと食べ物が大腸に行っていたのに急に何も大腸に物が入らなくなることによって腸壁がはがれ、大量に下血してしまったのだと思う。

とすれば大量下血はむしろ当たり前のことだったのだと思う。

僕は体質改善のために1週間から10日間の本断食(水とお茶のみ)を7回行っていますが、断食を始めると最初に血が出始めます。

それは、腸内の古く汚れた腸壁がはがれ新しくきれいな腸壁にかわる時に、腸に傷があるぼくの場合、どうしても血が出てくるのである。

そうして、腸をきれいにすることが体質改善なのである。もちろん、この見解は現代西洋医学にはない考えです。

平成12年1月4日【プレドニン5mg減】

今日からプレドニンが45mg(朝30mg、夕15mg)になった。

主治医と今後のことについて話し合った。先生は次のように言ってとうとう手術の話をきりだしてきた。


「もう、これ以上はステロイドは打てないし、この先パルス療法と動脈注射があるけど、それでよくなったとしても、また悪くなれば、もう手術するしかない。

 だったら、学生で時間のあるうちに大学の休みを利用して一時的には人工肛門で学校に通うことになるだろうけど、2期分割手術を受けて、この病気とおさらばしたほうがいいんじゃないかな。

 もちろん便がずっと下痢状であったり、腸の癒着など多少の弊害は残るけど、この苦しみから一生逃れられるよ。」

と言ってきた。2週間ほど前に、きっと治ると思って入院してきたボクはどう判断していいか分からず

「手術はイヤです。」

と言うと

「でも、ウソはつけないからね。」

と医者が言った。ボクもその通りだと思った。だから、医者もつらい思いをしていることがわかった。

精神的にも肉体的にも追い詰められていたボクは思わずこう返していた。

「家に帰ったら治る気がする。たぶんボクはがんばり過ぎた。体を犠牲にして大学に 行っていた。もうここまできたら大学なんてどうでもいいです。だからテストも、もう いいです。第一こんな状態で大学には戻れないし。」

すると先生は

「大学には行きなさい。そして薬剤師になりなさい。とにかく3日後の追試にはなん とか行けるようにしてあげるから。あきらめないで勉強しなさい。」

と言ってくれた。

先生はボクに薬剤師になって欲しいと思っていてくれていたみたいだった。

本当にいい先生だった。それからボクは病気のことは忘れて勉強に打ち込むことにした。

1月7日【薬学数学追試験】

苦手な数学を前期、落としていたので、その追試があった。

この追試を落とすわけにはいかなかったのでずっと入院しながら勉強していた。

しかし、大量ステロイド投与の効果がなく、病状が全然よくならず、手術のことまで考えないといけなかったので、正直勉強どころではなくなっていた。

しかし、この日の朝、看護婦さんに起こされプレドニンを打ったあと、ヘパロックをしてもらい、首にガーゼをあて、マスクをして、うがい薬をポケットに入れて、いってらっしゃーいと見送られた。

1月12日【転院】

13日から大学の授業が始まるので、まだ絶食IVHでプレドニンも40mg投与して、退院できる状態ではなかったので、大学の近くにあった津久井赤十字病院に転院をして、そこから毎日入院しながら大学に通えるように配慮してくれた。

これは、ボクを大学に通わせるための主治医の苦肉の策であった。

もちろん、もし何かあれば大学病院に連れ戻されるという条件付であった。